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草の根活動日記
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気づけば、多くのオリジナル曲が、この3年間に出来上がっていた。アルバムを一枚作るのに十分な曲数がある。ミュージシャンにとって、アルバムを仕上げるというのは、子供を産み落とす程の大きな節目になる。自分が丹誠込めて作った曲を、どんなアレンジで、どんなレコーディングで、どんな質感の作品に仕上げるか…すごく重要になってくる。

実は、昔…25才の頃、自主製作でCDを500枚プレスした経験がある。アップした写真のダンボールの中に、今だ400枚以上のCDが未開封のまま眠っている。
この大失敗に終わった、自主製作CDのいきさつを総括しよう。二度と同じ失敗を繰り返さない為にも…


①『当時の自分を取り巻く環境』

この当時、私はスーパー内にある写真屋の店長を任され、がむしゃらに働いていた。
23才で京都から愛知の実家に帰郷し、この仕事に就いたのだ。
京都にいた頃は、拾得の飛び入りライブを中心に活動し、常に音楽が生活の中心にあった。自分の周りにも刺激的なミュージシャンが溢れていた。しかし、愛知に帰ってからは、仕事一筋になってしまった。ギターもほとんどさわらなくなり、曲を作ろうとしても、まったく作れなくなっていた。
この頃、よく夜中に1人で海までドライブに出掛けた。夜の海を見ながら、感傷に耽っていた。消えゆく音楽への情熱を感じていた。京都にいた頃、必死の想いで作り上げた幾つかの曲を、とりあえず形にしようと思った。


②『録音』

私は『スティーブアルビニ』という音楽プロデューサーのレコーディングした作品をこよなく愛している。臨場感を引き立たせた、生音を活かした録音方法。ソリッドな質感でいて、アナログな温かみのある音。そんな音が理想だった。スティーブアルビニという人は希少価値のレアな機材で、あのアナログっぽい質感を出していた。
自分はカセットMTRで録音することにした。家に親がいない時間帯を見計らって、近所の人に聴かれないようにこっそり、弾き語りを録音した。音が外れていようが、リズムが狂っていようが、一発録りのテンションを優先させた。
そして、高校時代から一緒に曲作りをしていたYAMANEに弾き語りの上にアレンジをかぶせてもらった。
マスタリングは大阪の大きなスタジオにお願いした。
しかし、所詮、カセットテープの音源だ。音の幅が狭く、ノイズも酷く、とても商品レベルには達しなかった。
唯一、アルバムジャケットやトータルデザインだけは短大時代の同級生でプロのデザイナーになっていた北方君にお願いし、最高のパッケージに仕上がった。


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③『資金、借金、堕落の始まり』

CDを500枚プレスするのに30万円が必要だった。当時、テレビで消費者金融のCMが盛んに流れていた。利息の計算方法もろくに知らずに融資を受けてしまった。(最近になって、消費者金融の違法な利息に、利息制限法という規制がかかった)ここから、借金人生がスタートした。人間とは弱いもので、一度融資枠を設けると欲に負けて、一気に限度額まで引き出してしまう。そして、限度額まで借りると、更に消費者金融が限度額を広げてくれ、更に借金が膨らむという地獄のスパイラルに陥った。
三年前に『特定調停』という制度を利用し、なんとか今年の7月に全額返済完了した。
借金をするというのは身の丈を超えた行為だ。自分でお金を貯めてからCDを作らなければならなかった。


④『自主レーベルの立ち上げ、宣伝活動』

このCDを作るのに『shuttle cock』というレーベルを友人と立ち上げた。この友人は現在、HADA WEB SITEを管理運営してくれている。
このCDを作った当時は、まだパソコンが普及していなく、自分で宣伝し、売り込むしかなかった。
まず、自分の名刺を作り、タワーレコードなどに売り込みに出掛けた。しかし、まったく相手にされなかった。小さなレコードショップがありがたいことにCDを置いてくれた。しかし、まったく売れなかった。
音楽雑誌にも手当たり次第に送った。唯一、アフターアワーズという雑誌が小さく取り上げてくれた。しかし、それ以外の雑誌はまったく相手にもしてくれなかった。
やれるだけのことをやってダメだった時、なんとなく自分の中であきらめがついた。ライブをするような気力や自信は完全に消失していた。



あれから、年月が立ち、今再び音楽活動へのめり込んでる。この3年間に作った曲は、かつての自分の曲より、遥かによくできてる。歌唱教室に通ったことにより、表現力も格段にアップした。
とてつもない名盤ができそうだ。世の中の概念を根本から覆すほどの衝撃を起こしてやらなければならない。
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最近、思う。自分の人生を振り返った時、人生の岐路に立つ重大な局面でいつも、音楽に現実逃避していたんじゃないかと…

例えば、思春期の頃、好きな子ができると、いつも音楽を聴いて、その子のことを想いながら気分を高揚させていた。歌詞を見ながら、自分の気持ちと照らし合わせ、感傷に浸っていたのだ。しかし、これは完全な自己満足の世界だ。その子を好きな自分に酔っていたとも言える。恋をしたなら、音楽なんか聴く前に、その子に自分の想いを伝えなければならなかったのに…結局、失敗を恐れ、いつも音楽へ逃げていた。

先週末から、HIPHOPを爆音で聴きすぎたせいで左耳の調子がおかしくなってしまった。治るまで音楽を聴くの控えることにした。すると、無音の中で色んなことを考え始めた。

私は普段、営業の仕事をしている。1日中、車で客先を回り、車の中ではいつもFMラジオを流している。ラジオから流れる音楽を聴いていると、心がリラックスされ、気持ちよく仕事をすることができた。しかし、今週に入り、無音で車を運転するようになると、肝心なことから目を背けている自分にも気づいた。
今ある問題にしっかり目を向けてみると、1日中、イライラがとまらなくなった。うちの会社は今まさに危機的状況で、この夏、ボーナスが出なかった。その原因ははっきりしている。私の上司が肝心な仕事をほったらかしにしているせいだ。私はこれまで何度も何度も、その上司に早く、その仕事に取りかかるように催促してきたのだが、もう何年間もほったらかしのまま現在に至ってしまった。私もこれだけ言ってダメなら仕方ないと半ばあきらめてしまった節もある。考えれば考えるほどバカバカしくなるだけだと、現実逃避してしまったわけだ。しかし、会社が潰れたら元もこうもない。

心を鬼にして、本社に電話し、トップに今の営業課の状況を説明した。そして、今日、トップが営業課に駆けつけ、緊急の会議が行われた。その会議の中で、自分は鬼になった。やさしさだけでは生き延びられない。心を鬼にして、今ある問題に真っ向から向き合わなければいけない時がある。
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